3歳のお姉ちゃんが、あなたの大きななお腹をなでながら言っています。
「おかあさん、どんどんお腹がおおきくなるね。」
『そうね。もうすぐ赤ちゃんが生まれるの。』
「赤ちゃんはどこから来たの?」
『神様が与えてくれたのよ』
「ふーん、そうなの~」
今、あまり使わなくなりましたが「さずかる」と言う言葉があります。
辞書で調べると「神仏や目上の人などから、金では買えない大切なものを与えられる。いただく」とありました。その例文として「子宝をさずかる」が挙げられていました。
先ほど、「神様が与えてくれたのよ」と言った、あなたのそのこころの思いが「さずかる」ということですね。そこには目に見えないものへの尊厳と畏敬の念が込められていて、とても美しく、大切にしたい言葉です。
「お金では買えない大切なものが与えられる」
お腹の中の赤ちゃんは、まさにその通りですね。
神様から与えられた、お金に換えることのできない、大切な、大切な宝物です。
「子供はまだいいです」
「今年は子作りに励みます(笑)」
「もう、二人いますから十分です」
近所の奥様方との会話で、よく使う言葉です。
経済的、年齢的、健康面などを考慮して出産計画、家族計画をすることは、とても重要です。無理のない出産、子育ては、ご夫婦にも、生まれて来る赤ちゃんにも幸せをもたらします。
しかしながら、ここで知っていただきたいのは、自分で生活の全てをコントロールすることはできないということです。
特に、妊娠、出産、育児などは自分でコントロールできない事ばかり起こります。
「思いがけなく妊娠し・・・」
「まだ、十分にこころの準備ができていないのに・・・」
「なぜなんだろう?ちゃんと計画しているはずなのに・・・」
「本当にこれでいいのかしら?」
そのような思いが、頭の中をぐるぐる駆け回るとき、とても不安になります。
その答えはいろいろ考えられます。
「あの時こうしたから」、逆に「こうしなかったから」と、その理由を言うことはできるでしょう。
しかし、それが本当の答えではありません。
本当の答えは、「さずかった」からです。
生命が生まれて来るということに関して、人間が全てをコントロールすることはできません。
人間の思いや計画を越えた方によって与えられるものだからです。
なぜ、「さずかった」のでしょうか。
それは、あなたが「さずかった」生命をお腹の中で、大切に豊かに育むことができると信頼して与えられたのだと思います。
大切な宝物を、いいかげんな者に渡す人はいません。
大切な宝物だからこそ、信頼するに与えたいと願います。
そうです!
あなたは大切な宝物を与えるに値する方、信頼に値する方だから、「さずかった」のです。
つわりがひどくて何も食べられない時、
しんどくて起き上がれない時、
夜中、こむら返りで痛い時、
からだ全身がむくんで、どうなっちゃうんだろうと心配する時、
思い出してください。
今、わたしが妊娠しているのは、「さずかった」からだ。
わたしを信頼して「さずけ」られたんだ。
わたしは「さずかる」価値のある者なんだ。
だから、どんなにつらくても、乗り越えていくことができる。
お姉ちゃんがもう一度あなたにたずねた時、こう言って答えてあげてください。
「そうよ、お腹が大きくなったのは、神様が赤ちゃんをさずけてくださったのよ」
『わたしもさずかるかな?』
「大丈夫よ。お母さんとお父さんが結婚したように、将来、あなたも愛する人が見つかり、愛し合うことができたら、神様は赤ちゃんをさずけてくださると思うわ。」
『へぇー、そうなの!わたしもお父さんのような人と結婚したい。そして赤ちゃんがほしい!』
子供はさずかりものです。
お金では買うことのできない、大切な、大切な宝物です。
つらい思いも、もう少しです。
今日も「さずかった」宝物に感謝しましょう!